白河小峰城は、南北朝時代の興国・正平年間(1340~1369)に結城親朝が小峰ヶ岡という丘陵に築城し、「小峰城」と名付けたことが始まりとされる。
天正18年(1590)、城主であった白河結城氏が豊臣秀吉の奥州仕置によって改易されたことで会津領となり、蒲生氏、上杉氏、再び蒲生氏の領地となったが、寛永4年(1627)に丹羽長重が10万石余で棚倉より入封し、寛永9年(1632)に梯郭式の平山城を完成させた。
その後、丹羽氏・榊原氏・本多氏・奥平松平氏・越前松平氏・久松松平氏・阿部氏と7家21代の大名が居城したが、慶応4年(1868)の戊辰戦争で奥羽越列藩同盟軍と新政府軍の激しい攻防が繰り広げられ、大半が焼失し落城した。
現在の建物は、当時の史料に基づいて平成3年(1991)に三重櫓、平成6年(1994)に前御門が復元され、市のシンボルとなっている。歴史的な重要性が高いことから平成22年(2010)には国の史跡に指定されている。