長保寺(ちょうほうじ)の本堂は、長保2年(1000年)に一条天皇の勅願により、円仁(えんにん)の弟子である性空(しょうくう)によって創建された。
江戸時代に入ると和歌山城に入った浅野幸長(あさの よしなが)より5石の寄進(きしん)を受け、寺領は505石となっている。 その後、紀州徳川家として紀州藩主になった徳川頼宣(とくがわ よりのぶ)は、長保寺(ちょうほうじ)を紀州徳川家の菩提寺(ぼだいじ)とした。 東斜面には広大な藩主廟所(はんしゅびょうしょ)があり、頼宣以降の吉宗と家茂(いえもち)を除く歴代藩主が眠っている。
創建時は現在地より西方にあったが、鎌倉時代末期に寺地を現在の場所に移し、その際に寺院すべての建物が整えられた。
本堂・多宝塔(たほうとう)・大門・鎮守堂(ちんじゅがみ)といった主要なお堂は鎌倉時代に再建されたもので、 本堂・多宝塔・大門の3棟は国宝に指定されている。
また、鎮守堂(ちんじゅがみ)は国の重要文化財となっている。本堂や多宝塔(たほうとう)と同時期に建立されたと言われており、明治時代には瓦葺に改め、昭和3年には現在の檜皮葺に修復されている。
貴重な建造物の周りには桜や牡丹(ぼたん)などの植物が多く植えられ、「花の寺」としても全国的に有名である。