和歌山城は、1585年に豊臣秀吉が紀州を平定後、副将として参陣していた弟・秀長へ虎伏山(とらふすやま)に築城するよう命じ、名手・藤堂高虎(とうどう たかとら)らとともに建造されたことが始まりと言われている。
関ヶ原の戦いの後は、秀長が郡山城(こおりやまじょう)に移り、家臣であった桑山氏、浅野氏の時代を経て、1619年に徳川家康の十男・頼宣(よりのぶ)が城主となった。その際に頼宣は55万5千石で入城し、徳川御三家の一つ「紀州徳川家」として成立した。
1621年から城の改修と城下町の拡張工事が進められ、その後、3層の大天守、2層の小天守、櫓(やぐら)を結ぶ連立式天守がそびえた。この形式は江戸城・姫路城・松山城で用いられ、和歌山城も連立式平山城として公認された。
その後、天守閣は1846年に落雷で焼失し1850年にほぼ元通りに再建されたが、1945年7月9日の和歌山大空襲で再び焼失してしまった。
現在の天守閣は、1958年に和歌山市の依頼を受けた東京工業大学名誉教授「藤岡通夫(ふじおかみちお)」の指示のもと、鉄筋コンクリート構造によって外観が復元されている。材料や構造は異なるが、復元された外観は当時の写真と見比べても劣れを感じさせないほどの素晴らしい出来栄えである。
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所在地
〒640-8146 和歌山県和歌山市一番丁3番地
周辺マップ
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入場料
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営業時間
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休業日
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WEBサイト
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ベストシーズン
通年
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ワンポイント
内部には徳川家とゆかりのある遺品や資料などが多数展示されています。
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最寄駅・ICからのアクセス
和歌山IC→宮街道を直進→三年坂通りを経由→和歌山城(所要時間:約20分)
JR「和歌山駅」からバス(0系統、25系統)に乗り、公園前バス停で下車。